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ネパールからの報告

ネパールの言葉の勉強するために、現地の大学に行きそしてその後も日本とネパール(キルティブール)を年に何回か往復をしている、知人(女性)がいます。ネP5200042 パールに行っているときには彼女から、メイルで現地からレポートが送られてきます。その中で、5月の下旬に送られてきたお釈迦様の聖誕祭にかかわるレポートを引用させてもらいます。

日本ではお釈迦様の誕生日は4月8日と決まっていますが、仏陀はBC563年バイサーク月の満月の日にルンビニにお生まれになりました。
バイサークはこちらの暦、ビクラム暦の第1の月ですが、こちらでは4月の終わりか5月の始めの満月の日に釈迦聖誕祭を祝います。
それが一昨日でした。
私はネワール仏教徒僧侶カーストの家に寄宿していますので、このお祭りは家主の家族とP5200114 地区の人たちにはとりわけ重要な行事です。
他のお祭り、例えば新盆を迎える死者の霊を送るガイジャトラ(=牛祭り)の時にはバクタプールの祭りを見に出かけて、ここにいても当地の様子を見なかった年もありますが、釈迦聖誕祭は滞在している限りここの祭り行列を見てきました。
一昨日も、昨年に続いて日本人の友人を招いて昼間の部分は一緒に、一部始終を楽しみました。
既に書いたことですが、家主の家には代々伝えられてきた仏があります。
金属製の顔と両手が通常はしまわれていて、祭りの時に出されます。
人が中に入れる枠にケープが被されて頭が載せられ手がつけられ、宝石や花で飾られて寺院の前に置かれると、早朝からお供え物(米、小銭、花など)を捧げ、仏に自分の体をつける人々の列が続きます。
この朝の時間(6時~9時)に寺院の中庭(ストゥーパの南の位置)に信者たちが集まって、祭り実行委員会主催の講和と祈りの会が持たれます。
午後になると行列が街を練り歩き始めます。
順路は古くから住居があった丘の中腹より高い場所ですので、近年住居が密集した丘の下のネワール以外の居住者にはこの祭りは殆ど無縁でしょう。
行列は笛たいこの奏者の他に荷車にハーモ二ウムと音響装置を載せて同行するコーラス隊もあって賑やかです。
仏陀の一生を模した男の子たちの仮装行列は何枚かが次々に投げられながら伸びて行く長い白木綿の絨毯の上を進みます。
今年は途中雨に見舞われてその布がドロドロになってしまい、苦労していました。
行列のハイライトは寺院の前からお立ちになった、中に屈強な男性が入って練り歩く2体の仏様でしょうか。
辻辻で、寺院まで足を運べなかった人々のプジャ(お供え物を捧げるなど神を喜ばせる行為)を受けながら何人もが入れ替わり入って行列を続けます。
雨に見舞われた後、陽も傾きかけて帰宅した友人を送ってから再びカメラを手に行列に追いつくと、祭りは佳境に入って、行く辻辻で踊りが始まっていました。
出発点のチランチョー寺院に戻った行列は祭り実行委員会のメンバーが早朝から集まって煮炊きしたごちそうをもらって一緒に食べて解散です。
朝、しょうがの皮むきをおもしろがって手伝っていた私は家主に食べに来るように誘われましたが、残り物もあったし(冷蔵庫を持たないので翌日までは置けません)少し疲れてもいたので辞退してしまいました。
夜の部はもう終わりかけた頃に寺院入口前の広場で踊りに興じる若者たちのスナップを撮っただけでよしとしました。
翌朝、お姉さんに訊いたら、11時に仏様と家に戻ったと言っていました。
いつもは8時半には眠りに着いているお姉さん(私より3歳年上)ですが、その朝も6時前に起きて水を4階の台所まで運び上げたとのことでした。

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