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ネパールからの報告

友人から、ネパールの報告が来ました。今回の報告はキルティブルジャトラというお祭りPc080061_2のことです。キルティブルでは一番大きなお祭りで、大勢の親類縁者を呼び、豪華なごちそ うを作 って祝うようです。

12月8日は今回の滞在の一番の目的にしていたキルティプルジャトラの日でした。
このお祭りは七村祭の一環として行われ、周辺の村々でも同時に祝われます。
キルティプルで一番大きな祭りで、家々で作るごちそうも一番豪華で大勢の親類縁者が呼ばれます。
この地で使われているネパール暦は、ネワール民族独自のものでしたがこの秋にこれまでのビクラム暦に変わってネパールの暦に採用された、太陰暦で私たちが使っている暦とは大きく違い、祭りの日は私たちから見れば年毎に大きく変わることになります。
学生として年間をこちらで暮らしていた間も年末年始だけは日本に戻っていて、「ジャトラが終わってから帰ればいいのに」と毎年言われながらもその日まで待てずに帰国してしまうことが多かったのでした。
今年は久方ぶりにそのお祭りを楽しもうと決めていましたし、幸いなことに年の瀬が押し詰まってからの開催でもなかったので、その日程に合わせて滞在を決めました。
前々日にキルティプルに接する小村ナガオンで祝われ、前日は隣村というべきパンガで祝われることは聞いていましたが、他の村のお祭り見物に出かけたことはありませんでした。
中国語の勉強を始めたけれど職がなくて暇な下宿の長男が、パンガの祭りを見に行こうと誘ってくれたので一緒に行きました。
ところがテレビで放送していたそうな時間は既に暗くなり始めた頃で、あやぶんだとおりに行列は終わって、神輿は装飾も剥ぎ取られてお社の境内に鎮座していました。
祭り当日の朝、家主が「今朝は空いているから一緒に歩こう」と誘ってくれました。
家主も子どもの頃以来の祭りの始まる朝の見物とのことでしたが、私には初めての経験でした。(滞在していても丁度学期末試験期間に重なっていましたし、神輿行列を見てごちそうを食べるだけで大満足でした。)
神所のピーガンには、火を点して神に捧げる手製の縒り糸、生米や花やティカや小銭などの捧げ物を入れた金属の器を下げ、大方は新調の服に身を包んだ女の人たちにちら ほらと男性も加わって長い行列ができていました。(写真1)1
神所の右手の平地にまだ装飾を施されていない神輿が既に出されて置かれてありました。

ピーガンを出た街はずれの道端には、昔、住人を困らせて退治された鬼に捧げる大きな甕に入った濁酒といろいろな食べ物の皿が並べてあり、それを見守る男性たちと住人があいさつを交わしていました。
新しいゴンパ(チベット仏教寺院)にも詣でてバーグバイラブ寺院まで戻ってくると、ちょうど神輿を出しているところでした。
神輿が一つだけのことはないそうで、最初に担がれて来る小さい神輿がこれでした。

滞在を始めた頃、おばさんの家に来るとまっ先に私の部屋に上がってきていた、奥さんの弟の娘ディピカもこの春にSLCをパスしてキャンパスに通う年頃の乙女に変わりましたし、その妹のプリティカは久方ぶりで会ったら、べっぴんさんになっていてびっくりさせられました。
丘の下の私立学校の寮に入っていてちょくちょく泊まりに来ている奥さんの親族の3年生の坊やニラージも加わって、「それも昔教えてくれたよ」と懐かしむディピカと話しに興じながら折り紙を楽しんでいると、太鼓の響きが近づいてきました。
折り紙教室を放棄してカメラを手に飛び出すと、神輿を飾る常緑の葉(まさに日本の榊と同じで2す)を捧げ持つ男の子たちに続いて神への捧げ物を入れたお盆を持つ女の子たち、続いて民族衣装で着飾った女性たちの一団が行列して行きました。(写真2)
こんな行列があったことも初めて知りました。(学生をやっていた頃はまだ学校にいた時間帯でした。)
お目当ての神輿行列は今回かなり遅くなってからの出発で、下宿の前を通り過ぎてからも抜け道を走って先回りしてシャッターチャンスを狙いましたが、待ち構えたドゥオンデガ(石寺)の所で暮れなずんでしまって、それからの長い行程をついて廻るのはやめました。
出発点近くの四つ角で4階の窓からチャタモリ(米粉パンケーキ)が投げられましたが、祭りが佳境に入って、いくつものチャタモリが飛び交い歓声に包まれる情景は暗闇の中でも再現されたのでしょうか。
初めて見た時だったか2回目の時だったか、白く光るヒマラヤを背景にチャタモリが舞っていた、夢のような光景が蘇ります。

祭りの前日からキルティプルの友人のマハルジャンの家に泊まっていて、翌日に寄ってくれた日本人Hさんは、パンガの神輿も見たし、キルティプルと祭りの日が重なるマッチェガウンの神輿も見に行ったとのこと。
マッチェガウンの神輿は7つもあって、日本の神輿のように煽って、飾った花の香りが振りまかれたそう。
Pc110022 友人には何人もの姉妹がいるので嫁ぎ先の家で彼女も一緒に次々ごちそう振舞いを受けたこと、ごちそう振る舞いは順繰りで友人の家では祭りが終わった今日なのだと話してくれました。
私の下宿の家族はネワール仏教徒最上カーストですから、農民カーストのマハルジャンとは今でもいろいろな場面で微妙に違ってきます。
Hさんの話を聞きながら、友人のギャニィ(マハルジャン)のお母さんの実家、パンガのお姉さんのところでガイジャトラ(牛祭り)を見た日のことを思い出して、Hさんの2日間の体験を推察していました。
外国人の私が見に行くと、きっと目立ってしまうでしょうが、花の香漂うマッチェガウンの神輿見物は是非実現させたいものです。

世界的不況の中で新生ネパールの舵取りは正直うまくいっていませんが、政治状況は我が日本もあまり変わらないとしか言いようがありません。
すぐに交通遮断など実力行使に出るネパールの人たちの方が政治意識が高く、変革への意思表示もあると言えるかもしれません。
そんな中でも村人の暮らしも徐々に消費傾向が強くなり、外目からは向上しているように見えます。
来春の再訪時にはどう変わっているでしょうか?















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