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中国・北京 2012.3.25~29

大学の「現代東アジアの政治と社会」、「現代中国を20世紀から見直す」という授業で中国の近代史、清の末期以降の勉強をした。今回の旅行では故宮、頤和園など清の末期に、特に西太后にかかわって名前が出てくる施設そして日中戦争のきっかけとなった事件の起きた盧溝橋などが興味深い。また万里の長城は以前から行ってみたかった所。そして中国を象徴する場所と思われる天安門等を見るのが大変楽しみな旅行。旅行出発の前日が卒業式だったので、卒業旅行になった。
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○ 中国・北京旅行記  2012.3.25()3.29() 

3月25日(日)
 成田の飛行場は、混んでいたようで離陸をするのにしばらく待たされた。約4時間で北京の飛行場へ。途中殆ど揺れることはなく、静かな飛行だった。北京の飛行場は2008年のオリンピックで改修されたということだ。入国審査後出口に向かうのに、シャトル(電車)に乗るのだが、それについてガイドに記載がなく、またかなりの時間乗るのでちょっと不安に。しかし、出口で現地のガイドさんに会えてホッとする。改修により北京の飛行場は非常に広くなったようだ。飛行場からは、高層ビルの建つビジネス街を通ってホテルに向かう。ホテルに着いたのは午後11時頃で、そのまま寝てしまった。

3月26日(月) 晴
 今日は、7時50分出発。前日が遅かったのでちょっと辛い。ホテルから道路に出ると渋滞している。中国というと自転車というイメージがあったが、それは完全に過去のもののようだ。自転車も走っているが非常に少なく、かえって日本の通勤時間帯の方が多い感じがする。北京市内の車の数は500万台以上だそうだ。また、バイクも多いが日本でよく見るスクーター型のものは少なく、自転車にエンジンをつけた程度の型が多い。日本のバイクが中国市場への進出に遅れていることを何かで読んだ記憶があるが、多分ガラパゴス化した日本の技術ではこういったバイクは作れないのだP3265788s ろう。2008年・北京オリンピックの通称「鳥の巣」と呼ばれるメインスタジアムと水泳競技場が近くに見えるところへ。「鳥の巣」と比較すると水泳競技場は非常にシンプルなデザインで、ステンレス製の受水槽を連想してしまった。ヒスイの店に連れていかれて、暫く時間を過ごした後、明の十三陵へ。明の歴代16人の皇帝の内13人の皇帝が葬られている。3代目の皇帝永楽帝が都を南京から北京に移した際に、皇帝の墓をどこに造るか検討し、場所の選定をしたそうだ。本来は石牌坊と呼ばれる石の門をくぐって十三陵に入るようだが、現在は門はフェンスで囲まれて近寄れなく車で横を通って中に入る。十三陵のうちの唯一発掘された14代・神宗万歴帝が葬られている定陵の地下宮殿に入る。中には皇帝と二人の皇后(孝端と孝靖)の朱に塗られた木製の棺が安置されている。といっても本物は腐食が進んでしまったため現在置かれているのはレプリカだそうだ。また、周囲には宝飾品を納めた木箱がいくつか置かれている。日本の古墳、エジプトのピラミッドなど死後立派な墓を造るのが権力の象徴なのだろうが、今から500年以上も前に地面を27mも掘って地下に宮殿を造るとは・・。その作業に従事した人達は秘密のために殺されてしまったそうだ。
   
飲茶での昼食後、今回の旅行での大きな期待の万里の長城へ。万里の長城はいくつかに分かれてようだが、今回行くのはその代表格の八達嶺。万里の長城は宇宙飛行中に見えた地球上P3265822sの唯一の人工建造物だそうだ。向かって右側が女坂、左側が男坂と呼ぶそうで、男坂の方が傾斜がきついようだ。ガイドに、男坂の方が展望が良いと書いてあったので、そちらを登ることにする。一番高い所・南四楼まで約20分。時間に 余裕があったので少し先まで行ってみた。殆どが階段だが、段の高さが均一ではないのでかなり歩きにくい。振り返ると見える女坂に比較すると圧倒的に人が少ない。周囲の展望は靄がかかって、シャープさには欠けるが城壁がつながる山の眺めはここ以外では絶対に見ることはなく、なんとも形容し難い。今から2000年以上も前に、こんなものを造ろうと発想すること、そして実際に造ってしまったことがすごい。私の読んだガイドブックには、「人類の偉大な業績とも思えるし偉大な愚行とも思えてくる。」と書いてあった。そして自然破壊?城壁が作られている山は結構急峻な山で、造るのはかなり大変だっただろうなと思うと同時に、造る必要が有ったのかな、などとも思えてしまう。明代に2度長城は破られているそうだ。

3月27日(火) 晴
 1976年周恩来の死亡した時、1989年には民主化運動で2回の大きな事件の舞台となった、天安前広場は猛烈な人。テレビや写真でよく見る毛沢東の大きな肖像P3275828s が掲げられた天安門を生で見るのはいろんな意味で、ちょっとした感慨。地下道をくぐって天安門の前に立ち、さらに天安門をくぐって故宮博物院へ向かう。故宮はかつては紫禁城と呼ばれ、都を南京から北京に移した明3代目の皇帝永楽帝が14年間かけて完成させた宮殿で、明・清代の約500年間、24人の皇帝が統治をおこなった所。南の正門、午門をくぐって中へ入る。午門の真ん中P3275846s は皇帝だけが通る入り口なのだそうで、我々は横の入り口を通る。中に入ると広場があり、広場を横切って流れている金水河という川を渡り、その先の太和門をくぐると、中国で最も大きな木造建築物で皇帝の即位を行うなど紫禁城の中では一番重要な建物であった太和殿の前へ。建物の中を見ようと階段を上がっていったが猛烈な数の人で通勤時間帯の電車の中のよう。やっとの思いで中を覗いて階段を下りる。建物の前には日時計と枡が設置されている。これもP3275848s 権力の象徴で、時間(暦)と枡(度量衡)は王朝が定めたものを全国民が使うことを表わしたもの。その後ろに皇帝が休息するための中和殿、さらにその後ろには宴会場であり科挙の試験会場にもなった保和殿と続く。最初の太和殿ほどではないが後の二つの建物も人が多くて中を覗くのが大変。故宮は大きくは政治を行う場である外朝と皇帝などの住居がある内廷に分かれている。見学した三つの建物は三大殿と呼ばれ外朝に位置している。今回は内廷の見学はカット。西太后が生活していた建物、又ラストエンペラーの溥儀の生活の様子を示す展示室になっているという麗華軒など興味があったが残念。宝物館に入る。財宝の多くは、蔣介石が台湾に持って行ってしまったそう。展示物で興味深かったのは、皇帝の大きな印。日本では現在、法律を公布する時は天皇が署名捺印、御名御璽をすることになっているが、当時の中国にそのような制度がありそれに倣ったのだろうか。西太后の命令で光緒帝の妃の一人の珍妃が殺されたという井戸が保存されていた。
 故宮を出て、すぐ北側にある景山公園へ。紫禁城の北側には山があるのが望ましいというP3275863s 風水に従って造られた人工の山だそうだ。頂上には万春亭という四阿があり中には大仏座像が安置されていた。頂上からの展望は素晴らしく、南の方向では故宮の全体を望むことができる。当時の皇帝はここに登って、「自分の家が見える」と喜んでいたのではないだろうかと想像してしまった。景山は、明朝最後の皇帝宗禎帝が首を吊った場所でもある。
 昼食後ユニクロやマクドナルド(中国では麦当労)などが並ぶ商店街の前門大街を散策してから、天壇公園へ。紫禁城の南に位置し、城を建設後その周囲に設けた様々な祭壇の一つで、天を祀っている。公園の中で最も重要な建物が祈年殿で、毎年1月15日に皇帝が五P3275878s 穀豊穣と天下の安寧を祈った場所。三層の丸い屋根で釘を一切使わずに建てられているそうで、非常に美しい建物。その南側にある皇穹宇は中に入らず圜丘壇へ。皇穹宇には壁に向かって小さな声でささやくと、遠くの壁に反響してよく聞こえるという回音壁に興味があり、不思議な体験をしてみたいと思っていたので残念。圜丘壇の中央には、天心石と呼ばれる円形の石が設置されている。大晦日に、この上に皇帝が乗ってその年の出来事を天帝に報告するのだそうだ。当時はその石の上には皇帝しか乗れなかったそうだが、今は観光客が記念写真を撮るために競って乗っている。皇帝の地位は競うものになったのかな。公園を出てバスに乗る途中の道の上に老人が水で「龍飛凰舞」という字を書いていた。素晴らしい字で、見ていた人たちは思わず感嘆の声。
 今日は非常に広い故宮博物院、故宮よりさらに広い天壇公園そして景山公園や前門大街など非常に良く歩いた1日だった。足にちょっときた。

3月28日(水) 晴
 1937年日中戦争(ここは中国だから中日戦争と言わないといけないのかな)のきっかけとP3285893s なった事件の現場の盧溝橋。中国と日本の近代史では両国に共通して重要な場所と思われる。入場するためにはチケットを買わないといけないが、生活のためにもつかわれている橋のようで、地元の方達は顔パスあるいは証明書のようなものを持って渡っているそうだ。欄干には獅子の石像が多数設置されているが、それぞれ違う表情、しぐさをしている。元の時代にマルコポーロが訪ねていて、東方見聞録で「非常に美しい橋だ」と絶賛しているそうだ。この後同じ川にかかる別の橋を渡った際に眺めたが、アーチ状の橋桁に支えられた姿は確かに美しく感じた。戦争のきっかけとなった場所だということを忘れさせてしまう。しかし橋のすぐ近くにある宛平古城の城壁には銃で撃たれた痕が残っていてやはりそういう場所だということを実感させられた。
 50万年以上前に地球上に登場した北京原人(北京猿人という言い方もあるようだ)が発見された場所、周口店遺址へ。すぐ近くに駅のある線路を渡ると遺址の入り口。入口には厳つP3285898s い顔の北京原人の大きな像が立っている。博物館で、最初に見つかった歯の化石やゴリラと原人と現代の人々との頭蓋骨の違いの紹介、彼らが使っていた石器、原人たちの生活の様子を動画にしたビデオなどを見た後、発掘された洞窟に入った。洞窟といっても今は天井がぬけた大きな空間。岩に猿人洞と書かれていた。一昨日、昨日訪ねた観光地と比較すると、世界遺産に指定されているにもかかわらず、ここは非常に静か。北京の中心から離れているためだろうか。ここから発掘された原人の骨は誰かが持ち去ってしまったとか。持っていってどうしたのだろうか。
 今日の昼食は麺料理。中国で麺というとラーメンかなと思うが、カンスイを使っていない麺だった。道路の脇の木にピンクの花が付いているが、梅だろうか。川沿いの柳の木の新緑がきれい。
 頤和園は皇帝達の別荘で清代の乾隆帝が造園した。西太后が非常に気にいっていたようP3285907sで、1860年英仏連合軍によって破壊されたが、西太后によって再建された。その経費は海軍の予算を流用したそうだ。そのために、海軍の整備ができず、その後の日清戦争に負けてしまい清朝の滅亡を速めたと言われている。でも、そのおかげで私たちはきれいな庭園を観賞できる、という意見もある。光緒帝が書いた「頤和園」の額がかかる東宮門から中に入ると、人造湖の昆明湖を隔てた山の上に建っている園のシンボルの仏香閣の眺めが印象的。園内は大きく政治の場、生活の場、自然の場と分かれていて自然は昆明湖や万寿山が相当する。まず生活の場の玉欄堂と楽寿堂へ。玉欄堂は清を立憲君主国にしようと、戊戌変法によりP3285913s 政治を改革しようとした光緒帝を、改革をされると自分の権限がなくなることを恐れた西太后が改革をやめさせようと幽閉してしまった建物。楽寿堂は西太后の居室。西太后の食事は贅沢を極め、1日の食費は農民の食費の半年分に相当していたそうだ。当然食べ切れる訳はなく、宦官が園の外に持ち出して売り、彼らの小遣いになったそうだ。長廊は長さ723mの回廊。柱や梁には何枚もの絵が掲げられている。西遊記をテーマにした絵もあった。長廊を絵を眺めながら仏香閣の真下くらいの位置まで行ってから引き返し、政治の場の仁寿殿へ。西太后や光緒帝が政務をおこなった場所で、外国の使節が来た時にはここで会見を行ったりもしたようだ。宝座の後には鏡があり、そこに寿という字が沢山書かれている。又建物の前には龍の頭、獅子の尾、牛の蹄、鹿の角を持ち、体には鱗のある麒麟の像が建っていた。
 北京動物園では、パンダと西遊記の孫悟空のモデルになったと言われる金絲猴を見た。上野動物園のパンダは寝ていることが多いが、ここのパンダは動きまわっていた。
 夕食までは時間があるということで、北京古代建筑博物館(建築の間違いではないです。簡体字だと思う。)に行った。農業の神様を祀る先農壇の建物が博物館になっているそうだ。紀元前からの建築物を模型で紹介している。またこの建物は庭園式という様式で東西南北の四方に建物があり、真ん中に庭があるのが特徴。こんな説明を日本語でしてくれて非常に興味深かった。と、ここまでは良かったのだが最後に案内された建物で、棚に入れられたヒスイなどの置物を紹介され建築物の修復をするのにお金がいるので買ってくれと迫ってきた。一式で百数十万だということ。そんな金額のものを衝動買いする人はいないだろう。
 明日は日本に帰るだけなので今日が実質的な最終日。こちらに来てから良い天気が続き、気温もかなり高くなった。今回の同行者達は良い人の集団だったようだ。寒いことを想定して服を持ってきたので、暑すぎる。

3月29日(木) 晴
 帰国の日、ガイドさんによると北京の天気は今日から下り坂のよう。今日はホテルを出るのが早いので(5時50分出発)朝食は弁当をバスの中で食べた。牛乳の容器が合成樹脂製の袋で、柔らかい材質なので、ちょっと飲みにくい。飛行場に着きチェックイン、出国手続きを済ませて飛行機に乗り込んだが、離着陸する飛行機が多いようでしばらく待たされた。機内では映画を見て過ごした。3時間ほどの飛行で成田に着き、無事帰国した。今回のツアーは「6つの世界遺産を全て見学!これぞ決定版!北京5日間」というのがキャッチコピー。「6つの世界遺産を全て見学」はちょっと欲張りすぎでは。時間に余裕がないためだと思うが、各施設ともさわりを見ただけの感じがした。故宮博物院では西太后などが生活をしていた内廷を見たかったし、天壇公園では回音壁での不思議な体験をしてみたかった。また頤和園では仏香閣に上がって建物内を見ると同時に、園全体や北京市の展望を楽しみたかった。
P3265811s 万里の長城から見た山
P3265816s 万里の長城はこんな階段を上がっていきます
P3275854s P3275856s  いずれも故宮の中です
P3285901s_2 厳つい顔の北京原人
P3285922s 頤和園の仁寿堂と麒麟の像

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