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ネパール通信12-2-3

今回はちょっと考えさせられる話題です。

 そちらも晴天が続いているでしょうか?こちらは青空に凧が揚がって、子どもたちの華やいだ声が響いています。(ヒマラヤまで見えれば最高ですが、今回まだヒマラヤは1度も仰いでいません。)
 ネパール最大の祭り、日本のお正月とお盆が一緒に来たような ダサイン大祭のまっ最中です。明日が クライマックスの日、家族の最長老からティカを受けて長寿と幸運を祈ってもらう日 マハアスタミです。私がお世話になっているネワール社会では この日にクーチベェーと呼ぶ一番のごちそうを食べます。こちらに来る飛行機の中で知り合ったラチュナさんも留学先の日本からダサインと続くティハールのための帰国でした。東大で公衆衛生を学ぶ彼女とは「日本で会いましょう、連絡してください」と住所と電話番号を交換したのでした。久方ぶりの故国での家族や友人たちとの時間を十二分に確保してあげたかったので。
 
 さて今回の話題はカンティプールという新聞の子どもページに載っていたもので、題して「インドラバハドゥールの家」。64歳の彼は壊れて再建できない家の代わりに 隣にRCCが建ててくれたトイレに住んで、ほぼ1年になります。
インドとの国境に近い南方チトワンのピーパル村には韓国援助が入っていますが、個人の家を建てる援助はできず、便所のない彼の藁小屋の隣に立派な便所を作ってくれました。
お金があったら母屋を新しく作る場所に 男子用と女子用の便所とシャワールームの2室をセメントを使って作ってくれました。(新聞からの写真で鮮明さに欠けますが、壊れる前の小屋と立派な便所の写真を見てくださ1001い。青い扉には女子便所の文字と顔。)
その便所が今は住居で、用は水路(あるいは雨季だけ水の流れる川かもしれない)に行って足すとのこと。シャワールームを寝室(敷布団はなく1人分に足りない掛け布団だけがある)、便所は穀物などの倉庫とし、そこに面して草葺きの小屋を作り、台所にしているそうです。電気はなく2年生の息子は石油ランプの下で勉強するとのこと。彼の人生は、ポカラに出稼ぎに行って電柱を据え置く穴を掘っていて事故に遭って大怪我をして歩き廻れなくなり、狂いました。
自分の田んぼもやれなくなって、収穫を2分して半分だけもらう形で人に耕してもらい、自分たちの食べる分も足りません。9年前にはリキシャも運転していましたが、今は縄をない、竹で平笊を編み、山羊に草を食べさせ、河原のアシ草を刈って売り、塩・油の消費を支えています。4か月前に5人目の奥さんを亡くして、9歳の一人息子と二人で暮らす彼にも 家を新しく建て、病気治療をする 夢はあります。この夢を いつか息子が叶えてくれるだろう と記事は結ばれています。記事中に「街には ダーラー(共同水道)はあるが水がない 車はあるが道がない そんな場所が何百とある一方で 村には 便所はあるが家がない、水路はあるが田んぼがない こともある」と書かれています。畜産廃物からガスを作る 韓国援助のプラントも インドラバハドゥールの村では機能していないと書かれています。彼の所にも ダサインは来ています。息子さんは写真がなくて分からないのですが、写真でみる限り表情が明るいのが救われます。子どもができるまで5回も結婚した人の気力、人生観のなせるところでしょうか?きっとカトマンズ文化圏に居ては想像もできない人生を送っている 貧困の中でも楽天性を失わないネパール人が 彼の他にも大勢いるのでしょう、援助の問題は別に置くとして。
 
10/21 キルティプルから

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