« 谷川・西黒尾根~天神尾根 2014.7.12 | トップページ | ネムノキ »

ネパール通信14-1-4

yanshihoさんからのネパール通信。今回は友人の赤ちゃんのことなどを書いてくれています。

こちらの暦では 今日から第4の月サウンです。

田植えの月アサールが終わりましたが、今年は雨量が少なくて 田植えの出来ない田んぼがまだかなりあります。
屋上から眺めると 黄緑色から緑色まで 植えられた時期の違いで 陽を受けて光っている田んぼに あちらこちらで土の色が挟まっています。
今朝 バーグバイラブ前の朝市で久方ぶりにお会いして誘われるままにお茶をいただきにお邪魔した 公立学校教師の家でも 奥さんが「水がなくて田植えが終わっていない」とぼやいておられました。

ちなみに当地では財布はご主人が握っているのが普通で 食糧の買い出しも基本的には旦那さんの仕事です。
もちろん女の人も買い物に行きますが、昨今の日本のスーパーのように二人そろって・・・は 自家用車で行く人たちの多い街の巨大なスーパー以外では稀なようです。

友人レヌの4ヶ月になる赤ちゃんに会ってきました。
先回の滞在時に大きなお腹をかかえていたのですが、オペで産んだそうです。
レヌは 私がここに暮らし始めた時期 丘の中腹の家賃500ルピーの一部屋に 丘の下のキャンパスの大学院生だった旦那さんと二人で暮らしていました。
20歳そこそこで彼女もネパール語専攻の学生でした。
ネワールの中に暮らしている私は ブラーマンの彼女に 母語のネパール語関係や料理などいろいろ教えてもらいました。
二人で時々 夕飯を食べにも来ていました。
旦那さんが修士課程を終え、サンジャ(ポカラの近く)に教師の口を見つけて引っ越して行きましたが、学校宛てに手紙をくれたりしていました。
大学を終えてから一人目のお嬢さんが産まれ、旦那さんをサンジャに残して実家のカピルバストゥーに戻り、小学校教師をして稼ぎながら別居生活で子育てしていました。
そのうちに旦那さんがカトマンズに職を見つけて博士課程に進むことになって、キルティプルに戻ってきて ようやく家族3人の暮らしを始め、又私とも行き来するようになりました。
彼女も主婦業をしながら修士課程に進み 終了後に 旦那さんの仕事場の学校に近いカトマンズの街中に引っ越して行きました。
家賃が高くて 旦那の給料だけでは生活が大変なので私も働きたいけれど 子どもを産んでから体調が良くなくて・・・と言っていましたが、去年の初冬に会った時 二人目の子どもができた・・・とうれしそうでした。
二人目もお嬢さんでした。
母乳は1ヶ月までで それからは足りなくて人工栄養だ と話してくれましたが、びっくりしたのはそのミルクの飲ませ方でした。
乳首は吸ってくれないから・・・と言うのですが、見るからに濃厚なミルクと人肌のお湯を交互にスプーンで赤ちゃんの口に入れてやっていました。
すごーく大変・・・とぼやくので、間が空き過ぎたから 育て方忘れちゃったんでしょう、二人目は楽って皆言うけれど・・・と口に出ましたが、一人目のお嬢さんはまだ若かった彼女のお母さんが 昼間働きに出る娘に代わって育てられたのかもしれません。
お母さん手伝いにいらしたの?と訊いたら お婆さんになって何もしてもらえないから しばらくは手伝いの人を頼んだ と言っていました。
でも とぎれとぎれではあっても15年彼女を見てきて 今が一番安定して幸せそうだし 私には一番きれいに見えます。
いつか カピルバストゥーに一緒に来て! ルンビニもすぐ近くだから・・・ と知り合った昔から聞かされてきましたが、ジャパニの友だち いつ連れてくるの? とカピルバストゥーに残っているお姉さんに言われたと言っていました。
撮った写真を届けに先日寄ったら 短期間のうちに赤ちゃんの目元がはっきりして表情が豊かになっているのに驚かされました。
友人の弟さんのところにも長男が産まれて、こちらも人工栄養だそうですが、ずっしり重い子で 嫁入り時とは大違いに貫録十分になったお母さんもほんとうに幸せそうです。
時期があるのか このところご近所の顔見知りにも小さな子が新たに加わって、ディディお願い・・・と言われ 写真を撮ってあげては、赤ちゃんを抱かせてもらい 幸せのお裾分けもしてもらっています。

7/17 キルティプルから 柳内志保子

Sam_4051s

|

« 谷川・西黒尾根~天神尾根 2014.7.12 | トップページ | ネムノキ »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 谷川・西黒尾根~天神尾根 2014.7.12 | トップページ | ネムノキ »