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ネパール通信15-4

yanshihoさんが現在生活している周辺の様子を、報告してくれています。

狭いながらも我が城。横たえた衣装缶の上に布団を積んでお気に入りの布を掛ければ 昼使用の台所兼食堂兼書斎兼居間に早変わり。ここで油少なめタルカリの 口に合ったダルバートを作り食べ、洗い上げた鍋皿を横目に丸籐テーブル上に絵本とノートを開き、載り切らない辞書類は籐安楽椅子に置いて 座布団二枚を重ねた丸籐椅子に落ち着き、翻訳作業を楽しんでいます。
飽きれば屋上に上がって すっかりおなじみの展望を楽しみ、雨が降る気配がなければ 飲み水とカメラと折り畳み傘(日傘兼用です)を入れたザックを肩に そこら辺を歩きに出かけます。
先日は マッチェガウンに行ってきました。
実は先週 バークー寺院を経て行ってみようと出たのでしたが、寺院手前のバルクー川に架かっていた古い橋が跡形もなく失われていて 倒れた樹木の一本橋など私に渡る度胸もなく 廻れ右してティンタナの丘を巡って帰宅したのでした。
今回はバスも行く大通りの裏道の 田んぼの畦道を横断したりしながら 正統ルートで到達しました。
山側から入ることになるので まず出たのがマッチェナラヤン奥の寺院。元々この塔は傾いてAm_6955 いましたから地震被害はなかったようです。(写真1枚目)
寺院の前では 座りこんだ女性が 乾燥させた枝豆から大豆を打ち離す作業に勤しんでいました。
カトマンズ盆地の四方を護る四大ナラヤン寺院の一つ、西を護るマッチェナラヤン寺院に地震被害は全くなかったようです。
ただ路地を挟む水浴場の水は汚濁していて 洗濯する人たちの姿もなく、 寺院境内を巡る水路も殆んど干上がっていて、辺りは閑散としていました。
今までもその小屋横を何回も通っていたのに なぜ見なかったのか、今回初めて 魚(マッチAm_6963 ャ)に乗る女神の三体の像にお目にかかりました。
参道を下って来ると 新しい門ができていましたが、何か催し物があったのでしょうか?
更に下ると 昔からの門が見えてきました。
マオイストが政権を執ってから この門は打ち捨てられ 描かれていた目玉模様も白ペンキで消されたままになっていました。
久方ぶりに目が復活していました。裏側つまり参道を上ってくる人には表側も目玉が描かれていた記憶があるのですが、こちらはこのような模様が描かれていました。(6枚目)Am_6969
マッチェガウン集落を出て更に下ると 一見山小屋風のしゃれた仮設住宅ができていました。被災者もペンキを塗ったりして可能な限り家を飾っています。
盆地をぐるっと巡る山を背景に 田んぼの中の道もいつの間にか舗装道路に変わり、街からの移住者らしい新しい家が出来ている場所もあります。
次に出会ったトタンのかまぼこ型住宅は コカナ・ブンガマティを含めてあちこちで見かけました。建築専攻の学生たちが率先して普及させたとブログに出ていたような気がします。
その次の応急住宅も 実用を兼ねているとはいえ普段通りのトウガラシのれんが架かっていて なぜかほっととさせられました。
田んぼの中にいくつものレンガ工場が作られていますが、大地震に生き残った煙突は一つもないそうです。レンガを積み上げただけの構造だそうですから一溜まりもないでしょう。
煙突の見えない風景には まだ慣れません。(写真奥の丘が私の住むキルティプルです。)
Am_6984 舗装道路に変わったとはいえ 昔ながらに家畜を追って行き来する村人たちもまだまだ健在です。
写真右手に移っている男性はヌワコットから働きに出てきていると言っていました。ヌワコットの地震被害も甚大だったそうで、王宮も寺院も損傷したそうです。
この後 橋のない場所に至る舗装道路を外れ、新築中の家の所で 弟の家を見に来たキルティプル在のお姉さんに遇い、彼女に導かれて近道して帰宅できました。
2時間半の散歩でした。

8/13 キルティプルから

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