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陸前高田

haruさんは、盛岡の後、東日本大震災で被災し、奇跡の一本松が話題になった陸前高田を訪ねたそうで、その様子を報告してくれました。

盛岡からレンタカーで陸前高田に向かいます
陸前高田に繋がる気仙川沿いには鮎の里の看板が沢山
この辺りは東日本大震災以前は鮎、イワナ、ヤマメ等の魚の宝庫として全国各地の釣り人にも人気の川だったそうです
この先の、震災で大きな被害を受けた高田松原は景勝地としては勿論、東北有数の海水浴場として知られていました
道路の突き当りの看板前が、震災遺構として保存されている陸前高田市立気仙中学校でした
廃墟になった校舎には「 ぼくらは生きるここで このふるさとで 」の垂れ幕が
津波は3階建て校舎の高さ14,2m迄来たそうですが、全校生徒86人と教職員は駐車場から高台に避難して全員無事だったそうです
高台から見えた景色は、気仙川を遡ってきた津波にあっという間に飲み込まれてしまった校舎と、先ほどまで避難していた駐車場!!!
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辺り一面、復興工事中でベルトコンベヤーや、トラックが走り回っています
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350年にかけて2キロに渡り植林され、7万本在った日本百景にも指定された高田松原は、東日本大震災で流されてしまい、唯一残った奇跡の一本松
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津波で全壊した陸前高田ユースホステルの建物が盾となって波の力を弱めたり、高さが27.5mも在った事に因り奇跡の一本松が残る事が出来たとも言われています
一本だけ残った松の木は「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興のシンボルとして被災者たちの心の支えとなっていましたが、のちに枯死していることが確認されモニュメントとして保存整備されることになり保存プロジェクトが作られました
 流された楓と松を用いて中沢宗幸氏が「TSUNAMI VIOLIN」を製作
被災地復興の旗印となるよう願いを込めて、魂柱(鉛筆位の大きさ)には陸前高田「奇跡の一本松」の木片が用いられ、裏面にはその姿が描かれていて現在はヴァイオリン4台、ヴィオラ2台、チェロ1台ヴァイオリンが世界各地を回って演奏されています
このヴァイオリン、みなとみらいホールでの展示と演奏を聞いたことがあります
震災で被害を受ける以前の高田松原の写真と復興記念公園の完成予想図ポスター
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道沿いの5階建て住宅、4階まで津波が押し寄せた様子が解ります
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ガソリンスタンドには津波水位15.1mの看板が建てられていました
高田地区海岸に整備中の防潮堤がほぼ完成
震災前の防波堤高さ5.5メートルから工事後は12.5メートルの高さへ、全長約2キロの巨大な構造物が姿を現していました
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